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東京地方裁判所 昭和28年(タ)136号 判決 1957年2月20日

原告 大谷幸夫

被告 ジヨン・ドナルド・クレイン (いずれも仮名)

主文

原告は、被告の子であることを認知する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

一  原告訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、その請求の原因として、次のとおり、陳述した。

(一)  原告は、昭和二十三年十一月六日、大谷久子(大正十五年二月四日生)を母として出生し、現に肩書地に本籍を有する日本国民である。

(二)  被告は、明治三十九年(千九百六年)四月十三日、アメリカ合衆同ミズーリ州カイロ町において出生した同国国民であり、昭和二十一年五月東京で開始された極東国際軍事裁判においては、弁護人として執務し、右裁判終了後、一たんアメリカ合衆国に帰国したが、昭和二十五年一月末日、商用入国者として日本国に再入国し、爾来、ツーリスト・レクリエーシヨン・センダーズ株式社(本店所在地は、被告の住所に同じ。)代表取締役に就任し、子女三名を伴い、永住の意思で日本国に居住している。

(三)  原告の母大谷久子は、花柳流の舞踊の名取であるが、昭和二十一年その師花柳美保の経営する小料理屋の手伝をしていたところ、当時極東国際軍事裁判の弁護人であつた被告は、同僚の日本人弁護人某に伴われて、しばしば右の料理屋に来店し、同所で大谷久子と被告とは知り合つた。

(四)  昭和二十二年九月末日夜、被告は、大谷久子の止宿先である東京都渋谷区南平台四十四番地所在山下正枝方に久子を訪ねそのとき始めて、被告と久子とは肉体関係を結んだ。被告と久子とは、爾後、毎週一、二回同所で関係したが、同年十一月十五日、久子は、被告のもとめにより被告公宅(東京都中央区木挽町二丁目所在)に居を移し、翌二十三年六月右公宅を去るまで被告方のメイド兼被告の子女の舞踊教師として勤務するとともに、被告との肉体関係を継続した。かくして、昭和二十三年一月初旬、大谷久子は被告の胤を宿して原告を懐姙し、同年十一月六日原告を産んだ。しかして右姙娠の当時、大谷久子は、被告に対して貞節を尽していたから、原告は被告の子であること疑を容れる余地は全くない。よつて、原告は、請求の趣旨のとおりの判決を求めるため、本訴に及んだ次第である。

(五)  原告が父であると主張する被告の本国法は、アメリカ合衆国ミズーリ州法であるから、法例第十八条、第二十七条第三項によれば、本件強制認知の要件は、被告については右州法を適用すべきところ、同州法には、日本国の強制認知に相当する規定はなく、もとより本件を日本国の法律に反致する旨の規定もない。さればとて、本件のごとき場合に、認知の訴が許されないとすれば、日本国の公序良俗を害するものといわねばならないから、本件には、法例第三十条の精神に則り、日本国の民法が適用されるべきである。

二  被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、次のとおり、陳述した。

(一)  原告の主張事実(二)及び(三)は認める。(四)のうち、昭和二十二年十一月十五日、大谷久子が被告公宅に居を移し、被告方のメイド兼被告の子女の舞踊教師として勤務したことは認めるが、その余は否認する。その余の原告の主張事実は、すべて争う。

(二)  大谷久子は、原告を姙娠したと主張する当時被告以外の男と肉体関係を結んでいた。すなわち、(イ)久子は、被告と知り合う前に、一度婚姻し、離婚したのであるが、その相手は現に、東京に居住している。(ロ)久子は、被告方に居住している間、映画に行くという口実で、しばしば外出し、帰宅の際には、アメリカ合衆国軍人から貰つた金をたもとから取り出して、同僚のメイドに得意気に見せるのを常とした。また、昭和二十二年末か、翌二十三年初め頃、久子は、銀座のP・Xでアメリカ合衆国空軍軍曹ジヨージ・スミス(おそらくは、仮名であろう。)と待ち合わせたが会えなかつたと同僚に語つたことがある。(ハ)なお、久子は、原告を分娩した後、ダンサー、女給、芸妓等を職業とし、はては、妻子のある小原某と同棲するに至つたのであり、性的に無節操である。したがつて、仮に被告が大谷久子と肉体関係を結んだとしても、原告が被告の子であると断定することはできない。

三  原告訴訟代理人は、立証として甲第一乃至第三号証を提出し証人宮本美子、同ケイ・プリングスハイム、同原田定一、同山下正枝、同松岡清の各証言及び鑑定人古畑種基の鑑定の結果並びに原告法定代理人大谷久子の供述を援用し、乙第一号証の成立は知らないと述べた。

被告訴訟代理人は、立証として乙第一号証を提出し、証人中野きみ子の証言を援用し甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

一  公文書であるから真正に成立したものと推認すべき甲第一号証及び原告法定代理人大谷久子の供述を綜合すれば、原告は、昭和二十三年十一月六日、大谷久子(大正十五年二月四日生)を母として出生し、現に肩書地に本籍を有する日本国民であることが認められる。

しかして証人宮本美子、同ケイ・プリングスハイム、同山下正枝及び同中野きみ子の各証言並びに原告法定代理人大谷久子の供述を綜合すれば、次の事実を肯認することができる。すなわち、(一)昭和二十二年頃、花柳美保が「花木屋」という屋号で経営していた料理屋で、大谷久子と被告とが知り合つたこと、(二)同年九月三十日、久子と被告とは、久子が止宿していた東京都渋谷区南平台四十四番地山下正枝方で初めて肉体関係を結んだこと及びその後同所で数回関係をしたこと、(三)昭和二十二年十一月、被告が久子を被告方に住み込ませたこと及び同所で久子と被告とが肉体関係を継続したこと、(四)久子は、昭和二十三年一月頃妊娠したこと(五)原告と被告とは一見目素人にもよく似ている事等から親子関係があるとみられること及び(六)妊娠の当時、久子は被告以外の男と肉体関係を結んだことはないこと。

しかして、右とてい触する乙第一号証(被告の妻マーガレツト・ビー・クレインの宣誓供述書)の記載は、前掲各証拠と比照して、にわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。

しかも、鑑定人古畑種基の鑑定の結果によれば、原告と被告との間には、血液型検査、指紋検査掌紋検査、足紋検査及び人類学的検査のいずれによるも、親子関係が存在してもよいと考えられる結果ばかりが得られ、結論として、原告は、被告の実子であるという所見になることが認められる。

はたして、しからば、原告は被告の子であると断ぜざるを得ない。

二  原告が日本国民であることは、さきに認定したとおりであり、被告がアメリカ合衆国ミズーリ州で出生した同国国民であることは、弁論の全趣旨に徴し明らかである。しかして、法例第十八条、第二十七条第三項によれば、認知の許否その他子の認知の要件は、認知各当事者の本国法を結合的に適用すべきところ、本件において、原告が父であると主張する被告人の本国法、すなわちアメリカ合衆国ミズーリ州の法律には、我が国の強制認知に相当する規定はなく、(ただ嫡出でない子を現に監護している父が、その扶養義務を怠つた場合には、遺棄罪として刑事処分を受けるに止まり、)また、認知の法律関係については反致の規定も存在しない。(米国父子関係法規、合衆国労働省少年局刊行、家庭裁判日報第六巻第二乃至第四号証所載参照)しかしながら、我が国においては、嫡出でない子にとつて、その父が何びとであるかを定め、これを戸籍簿に記載して明確ならしめることは、そのこと自体重大な意義をもつ事柄であり、かかる利益を嫡出でない子に得させるための唯一の方法である認知の訴を許さないことは、我が国の公序良俗に反するものといわなければならない。

はたして、しからば、法例第三十条の精神に則り、本件については、すべて日本国民法を適用すべきものと解するのを相当とする。

三、よつて、さきに確定した事実に日本国の民法を適用すれば、原告の請求は理由があるからこれを容認すべく、民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤令造 田中宗雄 乾達彦)

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